011: 自分を惜しまず人から惜しまれよう
2010.03.25
※著書「心のしずく」より ~アーカイブ100回連載シリーズ~
※この記事は、平成八年~平成十六年にかけて執筆されたものです。
去る十月一日に来春新入社の内定式に出席した。その折に七〇数名全員の自己紹介のスピーチを聞いてひどく気になったことがある。
サッカー、野球、スキー、旅行、演奏等々のスポーツや趣味についてふれた時そのほとんどの人が「その節にはよかったら僕も誘って下さい」とか「できたら仲間に入れて下さい」とか「僕が世話をしますから」とか「僕にまかせて下さい」というような積極的能動的なスピーチが極めて少なかったように思う。残念なことだ。もしこんな消極的、受動的な気持ちで来春、人生の本番である仕事につくとしたらと思うとゾーとするものがある。
なぜこうなるのか。
短絡的に時代社会や教育環境のせいにしてしまえば簡単であるが果たしてそうであろうか。事実数少ないが厳しい環境の中でもめげずに希望をもってがんばっている人もいる。その姿は周りの人を感動感激させる。こういう人を見ると他人は自然と助力したくなるものだ。これまさに自分をよく生かし他人からもよく生かされる生き方だ。
言うまでもなく人間の希望や主体性はもともと他人さまから与えられるものでもなく、また借り受けるものでもない。自分の人生は自前のはずだ。希望をもつからこそチャレンジ精神が芽生え主体性をもつからこそ自己実現へと向かうことができる。
さらにそういう生き方は自分の成長のみならず、他人さまを思いやる心をも育んでくれる。人間尊重とはこのことだ。おおよそ、条件や環境はそのためのほんの一助に過ぎない。
それはあたかも病気や怪我を治すのは人間の生命力がもつ自然の治癒力によるのであって薬はそのためのさそい水にしか過ぎないように。自分が自分を治し、自分が自分を育て、自分が自分をつくり上げてゆくものだ。だから自分のことをたなに上げて他人や環境条件のせいにするさもしい根性は百害あって一利なしだ。
また自分を惜しむ人も実に多い。自分を惜しむということは自分の努力や勇気を出し惜しみすることであり、ひいては自分の可能性や創造性を自ら断つことと同じだ。自分を惜しむことと、他人から惜しまれることとは大きな違いがある。
つくづく思う。豊かな人生、積極性、主体性、生命力、努力、希望、人間尊重、自己実現、これらはすべてみな同義語ではないかと。
たった一度の人生。 とにかく 前へ前へ、高く高く。
平成八年十月二十五日