思うままに No.284

2019.07.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 「やらされる」と「やる」とでは天と地ほどの差がある。人間力の優劣を分ける。また人生の善し悪しを大きく左右する。やらされるというのは第一に精神衛生上よくない。いやいやしぶしぶだから細胞も萎えて健康上にも悪い。何事につけても一事が万事受身で指示待ち。自らすすんでやることがない。依存心が強く言わば怠け者特有の性情ということか。

 

 誰一人として豊かな人生を望まない人はいないのに、こういう人は分ってか分らずか徒らに人生をしぼませている。自分のみならず周りをも貧しくする。もったいないことだ。

 

 一方やる人というのは元気はつらつさわやかで気持がいい。つねに目的目標が明確だ。立てた計画にそって能動的に実行に移す。成果を出すには他の人たちと協力し合うことの大切さをとくと承知しているから、周りへの配慮にはことのほか意を注ぐ。だから人望も信頼も厚い。

 

 さてやる気を起すには何よりも本気にならなければならない。それには事訳をよく得心することでその気になれる。また自分はああなりたいと切に願望をもつことから生れる。

 

 一方「まだ他がある」「そのうち誰かがやってくれるだろう」というような、場当り的や気休め、あなたまかせになると人はとても本気にはなれないものだ。本気になるキーワードは、道理、実利、危機の三つだ。「なるほどそういうことか」「これは役に立つ、為になる」「このままでは危ない」というように。

 

 こんな話がある。

 

 昔昔、ある村で日照りが長く続いて田畑の作物がいよいよ心配になってきた。このままでは全滅だ。何とかしなければと村人たちは皆で相談し鎮守の杜で雨乞いの儀式を行うことに決める。村中の老若男女全員集合で天に向ってお祈りをするのだ。ところが雨乞いをするというのに誰一人、雨合羽を持参していない。本音はどうせ雨など降るものかとはなから諦めているのだ。ただ不参加になると村八分が恐いからしかたなく集っているのだ。そんな時、杜の片隅で今か今かと雨が降るのを信じたただ一人、合羽を被って真顔で空を仰ぎながら、じっと待つ子供がいる。この子は本気になってやってきたのだ。大人たちの格好を見て「どうして皆は合羽をもってきていないのかなぁ」とぼそっと独り呟く。冷めた目で見ながら。

 

 ところでお馴染みのTVCMソングに、<この木なんの木気になる木、見たこともない木ですから、見たこともない・・・>がある。木は木でももっと多くを見たいのが本気の気だ。この気は勇気と根気をつくる。この立派な大木のように、本気こそが人生を伸び伸びと繁らせ、豊かにしてくれる。