思うままに No.258

2017.05.31

エッセー「思うままに」

   

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 

 ある会合で御年90になられる方と運よく席を共にした。とても若々しくかくしゃくとして話しぶりといい仕草といいその年には見えない。その秘けつを尋ねてみたら「くよくよしない。元気にする。感謝の心をもつ」である。想定通り長寿の方々がよく口にする言葉が返ってきた。

 

 さらに続けて「不幸は財産になる」と、一瞬聞き違いかなとわが耳を疑ったがその意味を問い返した。

 

 「強がりで言うのではない。年寄りのたわ言と聞いてもらってもかまわない。不幸は誰にでも訪れるものだ。望まなくてもくる。できることなら避けたいところだ。辛いことだが嘆いても詮ないこと。そういうときにはいさぎよくさらっとそのまま受けとめることだ。長い人生にはどうあがいてもどうにもならないことがある。だからさらっとだ。

 

 他を恨んだり責めたりするのは愚の骨頂だ。そういうことを思っているからますます気分は泥沼の深場にはまるのだ。何が起きても最後にはなるようになるから大丈夫だ。それはそれで踏ん切りをつけて、その辛い経験を何かのときに活かすことに思いを巡らせよ。その教訓を生きる知恵にして後のために貯金をしておけ。この貯金が長い人生を生き抜くかけがえのない財産になる。」と。表情はおだやかだがきりっと眼光がひかる。

 

 幸も不幸も同根だ。いずれも心の内ではときに対立し、ときに融和し同居している。幸、不幸は表裏一体、定まらず幸が不幸に、不幸が幸に変転する。ただし知恵を活かし心の処し方次第で物事は好転する。日常体が不具合になったり大切な人や物、時や所を失くしたりで様々なことが起こる。それでも思いがけない不幸が心のもちようひとつで打って変わって人を輝かせることはよくあることだ。

 

 幸せは数量で計れるものではない。ましてや他人と競うことでもなく比べるものでもない。遠い所ではなく身近のちょっとした所に潜んでいる。幸せは仕合せとも表わす。お互いに心を合わせ自分のでき得ることを精一杯仕え合うことを意味する。仕合せは自分と相手、両者の心を尽す共同作業だ。そのもとは感謝の心だ。また感謝する心をもてばおのずと相手からも感謝されたい思いが芽生え行動へと駆り立てられる。

 

 ある結婚式での新婦のスピーチは今もなお耳に残る。「これから先、どんな不幸に見舞われても、二人で力を合わせていく覚悟です」と。普通のスピーチは「これから二人で幸せな家庭を築いていきます」であるが。

 

 寒さに震える人ほど太陽の暖かさを感じるものだ。人生の不幸をいくつもかいくぐってきた人ほどほんとうの優しさや強さ、そして感謝の念が深まっていく。