思うままに No.242
2016.01.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
余生という言葉がある。一生の残りの部分をさすがその語感からは悠々のゆとりというより、残り少なく先がない寂しさが漂う。しかし<残りものには福がある>と言われるように時間を量でとらえるのではなくその中身の質を計ると、この残りものは人生には極めて価値ある濃いものとなる。齢を重ねれば身体はそれなりに衰えるものでいかんともしがたいが精神はその限りではない。気持ちのもち方次第で充実の時を過せる。
いまの高齢者は元気だ。ひと昔前と比べればゆうに十歳以上は若い。小生の年代になるとほとんどの人は仕事からリタイアしているが、日頃よく頼まれることがある。「何でもいいから何か仕事がないか」「どこでもいいから働かせてもらえないか」と。仕事に就いているときは毎日が大変だったが、いったん現役を離れると日を待たないうちに、次第に仕事への恋しさが募るようだ。
やることがなく毎日が日曜日で退屈ほど辛いものはないと異口同音に言う。人は適度なプレッシャーがないと身も心も萎えてしまうようだ。働くというのは単に金のためではなく人生のうるおいや生きがいを創出してくれる有り難いものだと心底から思うようになる。仕事を失くし、離れてはじめて実感するものだ。
人生の大半は仕事が占めるがどうせやるなら楽しんでやるに限る。ただしだ、その楽しみはもとより人から与えられるものではなく、自分から能動的につくっていくものだ。やらされていると思っているうちはほんとうの楽しみは味わえない。あくまでも仕事の主は自分だ。そこにはいつも向う希望がある。希望が力になり、希望が苦労を楽しみに変えていく。
またやることなすこと思うように上手くことが運ばないところに仕事の奥深さがある。だからどれだけやっても、いつまでたっても仕事はあきない。希望や目標に向って工夫や挑戦していくところに面白さが生れる。
プレッシャーやカベを乗り越えたときに湧き出る充実感は何にも代え難くさらなる挑戦へと思いをかきたてる。達成したときには満足感を覚えるものだが、それ以上に無我夢中の過程にある時がもっとも楽しいのだ。ほんものの楽しさを味わうには当然のごとく辛苦の香辛料が加わるから旨みも増す。
小生が応援する大相撲の嘉風が見違えるような大活躍をしている。あの小さな体で上位陣を相手に胸のすくような相撲ぶりは多くの人に勇気と希望を与えてくれる。関取言わく「土俵に上ったら一心に楽しむ」のだと。なるほどと合点した。勝ち負けの前に全力を尽すことこそ楽しいのだ。その結果がおのずと勝ちにつながっている。
幕内では3番目の年長者ではあるが、その勝因は心技体のうちの心の変化にある。今後の益々の活躍を大いに期待したい。