思うままに No.189
2011.08.31
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
「ええ、あの人が・・・ウッソー」、「あの人に限ってそんなことはあり得ない、何かの間違いでしょう」。世の中には相当のひと角の人物でもとんでもない過ちを犯すことがある。<魔がさす>ということがあるが一度ならず二度三度とくり返すとなると、一体あの人は何だったのか、日頃言っていることとやっていることと違うではないか、やはり自分の見る目がなかったのかと、人に対するより自分に対してガッカリするものだ。
この類いの話はモノの損得よりも善悪に関わることが多い。ややもすると人はモノを失うときには汲汲(きゅうきゅう)とするが、信頼・信用については割と軽々に思っている人が少なくない。信頼、信用がどれだけ重いものか、失ったときに身にしみて分かる。いったん失ったら並大抵のことでは取り戻せない。また人は順境のときはその正体はなかなか見抜けないが逆境のときは見え易い。
一方こういう人も少なからずいる。「どんなに辛かろうとも苦しかろうとも、泣きごと恨みごとは一切口にしない。あるがままにきちっと受け入れて、じっと耐え忍ぶその健気な姿に誰が心を打たれずにいられようか。自分のことだけでも精一杯のはずなのに、なお他者への慮りを忘れないその様には、感動をこえて神々しささえ感じる。こういう人はいわゆる放っておけない人である。発する強力な人間磁力で周りを引きつけ魅了してやまない。信望の底力というのはこういうことではないか。
知人にこういう人がいる。気の毒にも学校を出てからずっと永年勤めた会社が倒産してしまった。幸いにも子供たちはみな独立しているので経済的な面では、当面心配はなかったのであるが、その後彼が真先にしたことは、自分の担当していたお得意様、お取引様を一軒のこらず半年かけて廻ったのである。
聞いてみると「長年お世話になった先々、お詫びとお礼だけはお会いしてきちっとご挨拶しておきたかった。そうしないと先方様に失礼は無論のこと、今の自分に対して、この先立つ瀬がなくなってしまうから」と彼らしいけじめをつけた生き方に改めて感服したものだ。私利私欲や格好でできるものではない。
その後、田舎に帰るも某会社から再三再四の熱心なお誘いを受けてお世話になり、今では役員に抜てきされ大活躍とのこと。人間先に進むには、その前に後始末をなおざりにしてはならない。