思うままに No.170
2010.02.01
※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~
たびたび不祥事をどこかしこで起こしている。腹立たしくもあり、情けなくもあり残念無念だ。潜在するその種は相当数あることであろう。何より最も心配するところだ。是是非非でお互いに気を付け合っていたら、声をかけ合っていたら、多々防げていたことであろう。とどのつまりは、独り善がり、無関心、無分別、無配慮、不注意、油断、怠慢、悪心、非常識、稚拙、手前みそな思惑から引き起こす。
大抵の人は、それらを見聞きするに、他人事であって自分には関係のないことだと思っているに違いない。またそのことが自分のみに止まらず、周りの人を巻き込み、心配、迷惑をかけることなど思っていないに違いない。これが大問題なのだ。自分だっていつかは被害者や加害者になるかもしれないのだ。魔が差すように、人間はふと悪心を起こすものだし、思いがけず他から危害をこうむることもある。それを他人事のように高を括ったり、なめてかかると取り返しのつかないひどい目にあう。轍を踏むように相変わらず同じ過ちをくり返すのが人間の愚かさだ。
さて不祥事を起こす輩には決まって口にする文句がある。「そんなつもりではなかった」、「ついてないなぁ、他の奴もやっているのに」、「これぐらいのことは誰にも分からないと思った」、「自分としてはよかれと思っていた」と。
独善的で軽薄、姑息で卑劣の何ものでもない。ことの重大さに現実は見逃してくれるほど甘くはない。後の負うべく代償に痛いほど思い知る。日常お客さまから戴く大切な代金は、信頼して下さるが故の有り難いご好意の賜物ではなかったのか。ムリ、ムラ、ムダな販売による代金はお客様をないがしろにする汚いあぶく銭に等しい。誰が人を裏切ってまでして得たいと思うか。人を泣かせ、怒らせておいて何がお客さまのためか、業績か。改めて私の代わりに社の代表として接客に努める諸君に問いたい。
企業は商品、情報、サービスを通して社会のお役に立つために存在するのではなかったのか。お客さまを家族と思い、親身になって接し、喜びを共有することではなかったのか。それがやりがいであり、誇りではなかったのか。そのおかげで我々の生活が成り立っているのではなかったのか。それに反すれば社会から退場を命ぜられ、その結果、不幸にして皆を路頭に迷わせる。厳として一人の不心得者、犯罪者を出してはならないのだ。
いま、企業という法人もまた人と同様に高い倫理観と社会的責任=CSRが強く求められている。仕組みやマニュアルも有用だが決して万能ではない。その前にもっと大事なことがある。それはCSRを実践する一人ひとりが人間としての良心に従って社会的使命を果たしていく正正堂堂たる姿勢だ。
能書きに終わらず愚直に理念を実践して、真にお客さま起点に徹することだ。この実践が社会からより愛され、親しまれる会社をつくっていく。