思うままに No.185

2011.04.28

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 うっそうとする森や林の中に足を踏み入れると、木立の様を見てふと気づくことがある。林立する木々がうまく共生しそれぞれが自立している。一見我先にと争って枝を伸ばし張り合っているかのように見えるが、実はお互いが成り立つように木は周りの木々に気づかいをしている。
 傍若無人に自分さえよければでは、自分の属する森が成り立たず自分も生きられないことを木は承知している。共存共栄は正しく自然の理だ。共存共栄は互いの気づかいがあって成り立つ。その意味で木は気づかいの達人だ。
 さてこの度の未曾有の東日本大震災、大変な苦難に遭われた方々にはいまだもって慰めの言葉もない。過日TVの映像より避難所での被災者の方の行為には痛く心を打たれた。パンを配って回る人に「私はいいから、十分だから、その分若い人達に差し上げて下さい」と。
 不足する食料事情の続く中、お年寄りとて皆と同じように飢えで苦しんでいるはずなのに。これから復興にはとてつもない忍耐と時間を要するが、こういう立派な人たちの、とても余人にはマネのできない気づかいこそが、この苦難を乗り越えていく上で大きな原動力になることと思う。この気づかいが連鎖波及して行けば被災地の方々のみならず支援する国民の皆さんにとっても大きな励ましと支えになることであろう。
 気づかいとは言葉ではなく行為をいう。発する万の言葉よりも示す一つの行為に価値がある。行為の伴わない言葉は所詮、空にして虚だ。憚りながら、この大地震はとりわけ若い人たちには気づかいや助け合うことの大切さを骨の髄まで味わわれたことだろう。
 生きていく上で、情・和・絆とは何かを考える機会をこの苦難の中から身をもって会得されたことであろう。何にも代え難いこの貴重な経験はこれからの人生において尊い大きな意味をもつ。是非とも希望を持ち続けて前に歩みを進めて欲しい。この災を福に転じて欲しい。
 これを機に被災地のある暴走族は気づきを得て解散し、復興のボランティア活動を始めるという。「人」という字が表すように人はお互いに支え助け合って生きられる。その根本は気づかいだ。よき社会、よき人間関係、よきチームづくりにはつねに相手を慮る気づかいがあってこそ成り立つ。
   「 気づかいの ほんもの学ぶ 苦難かな 」