思うままに No.174

2010.06.01

エッセー「思うままに」

※エッセー「思うままに」より ~毎月更新~

 久方ぶりに亀崎潮干祭りに参加した。何もできない役立たず者が監督という大役を仰せつかって。馬子にも衣装であるが、伝統のしきたりに従って祭り装束で。
 不思議なことにこの装束をまとうと一丁前の祭り人になったような気にさせる。緊張感も手伝って背筋がピーンと伸び、何となく所作や歩き方までも変えてしまう。亀崎には山車組は五つあるが、私の所属する石橋組は五百名余の組員から成る。組は町内単位でも学校区でもなく有志の組員で構成される。ここには一般に言う地位、身分が通用しないところがいい。
 この亀崎潮干祭りは三百有余年の伝統と歴史をもつ。今から三年前に念願の、数少ない国の重要無形文化財に指定されている。おらがまちの誇り高い祭りだ。見どころは優雅で精緻をこらした、華麗なからくり人形もさることながら、浜に向かって坂道をかなりのスピードで山車を引き下ろす勇壮なところだ。その山車の綱を引く若衆たちは威勢よい掛け声と共に海へと飛沫を上げて駆け込んでいく。まさにダイナミックな祭りの絵巻のクライマックスだ。
 この引き下しの際に無理を言って、山車の最上階(約七メートル)前列中央に乗せてもらった。向かう先の海、群れる四万人の黒山の見物客を眼下に見ながら、駆け下りるスリルはしびれるような快感である。山車がガタガタと揺れて木組のきしむ音と顔をかすめるさわやかな風を受けて夢心地にひたる。めったにない体験をさせてもらった。
 この祭りが長い伝統と歴史を重ね引き継がれてきたのは組員の並でない心意気と組織の万全な責任体制にある。祭りの前夜には組員が一堂に集められ、粛々と伝統の儀式になって祭りの役割が申し渡される。組員は役を受けた以上は何があってもやり抜かなければならない。できなければ恥さらしの笑われ者になる。組の秩序、規律、礼儀作法は笛や太鼓のけい古をする子供のときから厳格にしつけられ体で覚えていく。今どきの家庭や学校、団体ではとてもマネのできない凄いものがある。
 祭りも近づいたある夜、けい古の会場に居合わせた新聞記者が驚いてこうつぶやいた。「この光景は何ということだ、こんな所がまだ日本にあるのか、お年寄りから小さな子供たちまで声を合わせて歌う(伊勢音頭)様にはビックリした」と。
 老若一体のこの強い連帯感がある限り、この祭り先は安泰だ。この頃、ドンドンきずなが希薄になる日本の地域社会もかくありたいと思うことしきりだ。