津波の後、家に戻れた人は少なく、家が壊れてしまった人はキャンプで生活をしていて仕事もない状況でした。
行政が援助してはくれますが、支援が圧倒的に少ない現状でした。
津波の後は、キャンプや小さな借家に住んでいる人がほとんど。新しい家を建てるための土地はまだ供給されておらず、いつ土地がもらえるかもわからない現状で、引っ越したくても離れていく場所もない状況でした。
そんななか、被害に遭った漁村を訪ね、実際に漁民のグループとミーティングをしてきました。
もともと海辺に住んでいた彼らですが、西部海岸から100m.(東部海岸は200m.)の場所は危険という理由から今では電気も水道もこないそうです。
しかし、一番驚いたのは、彼ら自身、
まったく津波の知識を持っていなかったこと。
それが被害を大きくしてしまった原因の一つです。
今、ここでできる支援として、私たちは津波の知識と地域でできる範囲の対策の方法を伝えてきました。
彼らは真剣に話しを聞いてくれて、何とかしていこうという気持ちが強く伝わってきました。彼らは自分たちで変えていこうという前向きな気持ちを持っており、それがとても印象的でした。
また、東海岸は西海岸以上に被害が大きく、ほとんど復興は進んでいませんでした。学校も壊れてしまい、子供たちがあまり勉強できない状態が続いています。
復興支援は西海岸に集中しており、東海岸には西海岸ほどNGOは入っていません。東海岸地域には、タミル人やムスリム人が住んでおり、西海岸のシンハラ人と比べると人口も少なく言葉も違うので、そういった理由もあり復興が遅れているという話でした。
東海岸地域は昔、内戦があり、現在は一応停戦状態が続いていますが、いつまた戦争が起こるかわからない状況で、現地の人々はそれを恐れていました。
車での移動でも何回も検問を通るなどをし、とても物騒な感じがしました。
私は平和の大切さ、ありがたさを改めて実感しました。
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