「実は僕も」と、案内役のニローシが言う。
ニローシは、たくさんの被災者を助けているSFOの職員。
キャンプ地、仮設住宅に生活する人たちの面倒をみたり、葬式をあげたり、生活の援助、支援、精神的苦痛を助けたりしているという。
案内されたその村は、ニローシの村。
そこは、ほとんど家がなくなってしまった。
「ここに、僕の家が、あったんだ。 向かいに姉が住んでいたんだ。 ここは、結婚を約束した彼女が住んでいたんだ」
瓦礫しかない。床のコンクリートを指差して、ニローシが言った。
そこで彼の言葉は、声にならなくなってしまった。
いたたまれず、僕はその場を離れた。
周りには、家を作っている人、ボランティアで手伝っている人たちが目に入った。
少し見渡すと、ぽつんと建っているだけの家の庭のところで、
イスに座る少女がこっちにおいでと手を振っている。
僕は、自然と足が向いていった。
僕に、何ができるだろう。
また、お金がほしいのだろうか?と心では思っていたのだが、少女は違った。目を輝かせて彼女は言う。
「友達になりませんか?」
近所の友達は亡くなってしまったのだろうか?
彼女は、そんなつらい気持ちを感じさせず、「この津波の被害のおかげでいろいろな人たちに助けられている。
そして、いろいろな人たち、人種、宗教を超えて、話をすることができるのよ」と前向きに言う。
僕が、日本人だとわかると、日本人の友達もいるよと、一通の手紙を見せてくれた。
北海道の青年だった彼は、災害の後、一人で、スリランカに訪れ、被害の悲惨さを目の当たりにし、日本に帰ってから公演等を開き、 スリランカの現状、援助の必要性を説いているという。
手紙には、夢を語ったり、他にもアフガニスタンのような国があることを語りながら、彼女に“元気を出せ”と勇気づけていた。
考えさせられた。 こういう助け方もあるのだな。
そして、こういう前向きな考え方のできる被災者もいるのだなと。 |