山間部の被災地を後にして、海岸部の被災地(ジョングランヤン村)へ行きました。やはり山間部の被災地よりも状態はひどく、レンガの家屋はガレキの山になっていて、ここでも古い家やレンガ造りの家はほとんど崩れていましたが、訪れた村は少しずつ整備をし始めていました。
村人は言いました、「一番ひどい時は乗り越えた」と。
ここは農業を中心とした村で、206世帯あり、半分くらいの家が倒壊し、死傷者も多く出たそうです。この村はYEU※1の看護士が対応していますが、現在は病気やケガの治療、村民の中でも特に乳幼児、妊婦、高齢者の健康管理、健康診断を中心に行っているそうです。
被災地では呼吸器系の病気(咳など)や外傷の方が多いそうです。レンガが崩れてくると頭はとっさに隠しますが、むき出しの足などにガレキが刺さり、骨折や切り傷を負う人が絶えないそうです。その外傷の痛みからストレスが増え、そこから高血圧になる人や、胃痛などを訴える人も多いそうです。
しかし、日本と異なることは村の組織がしっかりしていて、この村の女性や近隣の村の女性たちが協力して、YEUの手伝いをしていました。薬を運んだり、看護士の手伝いをしたり、昔からお互いの村同士が協力し助け合いながら生活をしているそうです。
ジョングランヤン村は、他国からテントや食糧などの援助を、少しずつですが受けていました。
日本の国旗のついたテントも発見。大きな敷地内のレンガの崩れた山の隣に、テント生活をしている家も多くありました。また、とりあえず木で造った骨組みの家は、全壊は免れていたので、レンガの代わりに竹を編み、それを壁の代用にしている家もありました。
しかし、いずれまたレンガの壁に造り直すようで、山間部同様、レンガを積み上げる家では耐震強度が明らかに弱いと感じました。日本の家のように鉄筋を使って強度を増すということはなく、お金がないからこのレンガの家を造るしか方法がないというのが辛い現状でした
※1 Yakkum Emergency Unit インドネシア・キリスト教医療奉仕団ヤクムの緊急救援部門
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