日本でも、よく差別の問題が取りざたされるが、このインドにおける差別問題はもっと根が深く、4つの階級とそれ以外の人を区別する、国を挙げての差別政策とも呼べるものであり、それを外部から変えようなんていうことは、到底不可能ではないかと感じていた。そしてそこで生きる人々がどれだけ差別を受けていても自分ひとりで救えるようなものでもないとも思っていた。その思いの根本には、そこで生きる人たちの疲れている顔や、希望のない表情、そして決して良くない衛生・栄養状態を思い浮かべていたからだった。
実際に彼らは、物価の違いはあるとしても、1日200円程度の報酬で120日間限定の公共事業(過酷な肉体労働)や、富裕層の抱える農場で収穫の時期だけ雇われたり、高い土地代を払って作物を作って少しのお金を手に入れたりという状況だった。
また、そこで暮らす子供たちは、学校に行く時間を労働に充てられるような状況であることを聞いたときは本当にショックを受けた。日本では学校に行くのは当たり前、蛇口をひねれば飲み水が出てきて、職業も最近は景気の加減で厳しいながらも個人の努力次第では選択の自由があり、それと比較したら雲泥の差を感じた。
しかし、今回2つの村の2つのホストファミリーと、そしてそのホストファミリーの周りの食事を提供してくれる3つの家族、たくさんの村の人たちとおよそ5日間の共同生活を経験して思ったのは、「心が強い」ということ。家族とのつながりが強く、村全体が家族のようであり、また助け合って生きていた。貧困に負けていない印象を強く感じた。そして、そこで暮らす皆が必ず「夢を持っている」ということ。
17歳の青年は、将来コンピューターのエンジニアとして働くという夢をもち、また別の青年は先生を育てる先生になるという夢を持ち、小さな女の子は踊りを上手に踊りたいという夢を持ち、また、男尊女卑の風習の色濃く残るインドでは、女性側が多額の結納金を払わなくてはならない状況の中で、二人の姉妹を嫁に出すことを夢としてもつ母親の言葉も聞いた。
なんて心が強いのだろうと、逆にこちらが忘れていた何かを思い出させてくれる、そんな気持ちになった。
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