■ 7日目/スプラマニ氏との別れ
朝、日の出よりも早く起きた。朝の村の様子が知りたかったからだ。家の屋上に上って空を見ていたら、朝の6時ごろ、前日に立ち寄った寺院の方から「ヤンヤヤンヤヤンヤ〜〜」とけたたましい音楽が流れ始めた。その音楽が流れた数分後、全ての家から女性が出てきて、家の前に水をまき始めた。
水撒きが終わると、家の中に戻り、中から「シャッシャッ」というホウキで掃く音が聞こえてくる。やがて家の外までやってきて、そのゴミを道路の端に寄せて捨てた。次に、例のお絵かきが始まった。白いチョークを使って、玄関にまじないの絵を描いていく。音楽を合図に、この儀式がすべての家で同時に行われていた。
私は、素晴らしいと思った。宗教は冠婚葬祭に関わるものだと思っていたが、ヒンドゥー教は生活に密着している。宗教のおかげで規則正しい生活ができ、人々の健康が守られているのだ。初めは「こんな大音量で音楽を鳴らして、みんなが迷惑するんじゃ」と思ったが、その逆だ。日本の田舎でよくある定時のサイレンのように、この音楽で生活リズムができているのだ。
別れの時間が近づいてきた。「オープントイレにいこう」というフィールドワーカーたちに誘われて野原に行くと、朝も早くから子供たちが押し寄せてきた。笑いながら、みんなで一緒に用を足した(男の子だけ)。
同僚が朝のひげ剃りをしていたら、スプラマニ氏が興味津々で寄ってきた。電気シェーバーが珍しいらしい。同僚がシェーバーを渡すと、彼はなんと、自慢のひげをすっかり剃ってしまった。良いのだろうか。思わずやってみたくなったのか、記念にしたかったのか分からないが、非常に面白い姿だった。最後に、彼の家族と写真をとってお別れをした。
スプラマニ氏の長女が食事のときにいつも連れ添ってくれたが、私が「Thank you」というと彼女は必ず「No thank you. We’re friends.」サンキューは要らないわ、私たちは友達よ!と言うのだ。始めは明るくて楽しい子だから、「気を使わないでいいよ」という意味で言っているのかと思ったが、実は別の理由があるらしい。
後で聞いた話だが、インドでは(もしくはこの地域では)、「ありがとう」は日常会話では使わないそうだ。かしこまった場で使うものであり、友人同士では「ありがとう」は言わないのだそうだ。
ホームステイのお礼にとして「日本のノート」と「ボールペン」を渡した。また、村の子供たちへのプレゼントとして、クレヨンをいっぱい渡した。いつかまた会えるだろうか。私はここがインドのどこに位置するかも分かっていないから、会えないかもしれない。そんな寂しい気持ちで、ホームステイ先を後にした。
ANITRAの事務所に戻る前に、どこかの村で全員が集まった。「事務所には戻らず、このまま病院を見に行きます」という。寄ったのは「プライマリケアセンター」。町の小さな病院のようなところだ。
国か、自治体が運営していて、ここでは治療が無料で受けられる。主に、気管支の病気(かぜなど)や、下痢の患者が多く、あとは妊婦や不妊手術を受ける人が来る。病室は広く、設備は整っていた。医師は3人、患者は月に300人来るという。
ここでの話で驚いたのは、「出産するとお金が貰える」ということだ。ここで出産をすれば、700ルピー貰える。貧しい家庭の場合は、6000ルピーももらえるらしい。これは国の政策で、衛生状態の良いところできちんとした分娩を行ってもらうようにするためらしい。非常によいことだが、6000ルピーは大金だ。果たして良いのだろうか……。(ARPのホームステイ先では、1日70ルピーで女性たちが働いていた)
さらには、病院のデスクの上には、下の本も置いてあった。見ると、TAMIL NADU STATE AIDS CONTROL SCIETYと書かれている。タミル・ナド州の、エイズ・コントロール協会だ。エイズに関して取り組んでいるらしい。
この一環で、病院の待合室にはコンドームが無料で置かれていた。しかし、これを取っていく人はほとんどいない。コンドームの大切さが、まだ周知されていないのだ。大切なのは物やお金を与えることではなく、当人たちが「気づく」こと。必要性を知識として知っていたとしても、心からそれが必要だと感じること、つまり「気づき」がなければ、人間は動かない。
まずはAIDSの怖さをよく説明し、気づかせなければならないだろう。
それから、またここでも女性差別と出会ってしまった。なぜこうも、差別が多いのだろう。その差別とは、不妊手術だ。これ以上は子供が要らない、となると不妊手術をすることはよくある。ここまでは日本でも一緒だ。しかし、不妊手術を受けるのは、ここでは女性ばかり。卵管をけっさつする手術や、子宮にIUDをつけるなどを行っている。日本であれば、男性のパイプカットなどもあるが、この国ではそれはないらしい。おまけにコンドームも使っていない。個人的には、女性に負担させ、男性は何も負担しないとは、全くあきれて何も言えない。女性たちはこのことをどう思っているのだろうか。もし不快に思っているのなら、いずれ立ち上がって変えていくべきだと思う。
非常に興味引かれたのは、薬だ。意外にも、どれも国が認めたしっかりした医薬品を使っている。そして、インド独自のハーブを処方した薬も見つかった。いわゆる「アーユル・ヴェーダ」だろうか。聞いたことのない薬草がたくさん使われており、非常に興味深かった。西洋から見れば、日本の漢方薬も同じように不思議なのだろう。
ここでようやく、ANITRA事務所へ帰った。みな、ホームステイで体調を壊したりしたらしく、少し疲れた様子。しかし、帰ってからも勉強会が待っていた。
「ANITRA TRUST」というくらいだ。お金をやりくりするのは得意なのだろうと思っていたら、やはりそうだった。村でのお金の流れを作り、村人の起業や生活を応援していた。みんなで集めた資金からクラスターバンクを作り、そこからお金を借りて村人が事業を起こす。ここでは、葉っぱを使った編み物を作って売る人を紹介された。また、ほかにも病院での治療費に充てたりする人が多いようだ。
夜、散策を終えたあと、食事の前にANITRA事務所の中を歩き回ってみた。すると、パソコン教室を見つけた。先生ひとりと、たくさんの女子生徒がいた。私が部屋に入った途端、大騒ぎ。パソコンを打つ姿を写真に収めて回っていたら、あるとき突然、「こっちこっち!」と引っ張られ、なぜかパソコン画面を撮るよう急かされた。「なんだろう?」と思いながら撮ると、次は違う壁紙を表示して、「これも撮って!」とせがまれる。私は訝しげに、そのやりとりを10回ほど繰り返した後、「こんなの撮っていても仕方ないし…」と思って逃げた。
そして、さっきの続きで、パソコンに向かう女生徒を撮っていこうと思ったら、同じ子のところで同じように他のところへ連れて行かれる。顔は笑っているが、かなり強引な引っ張り方で。その後、みんなの写真を撮ろうとしたら・・・やはりそうだ。ある女の子だけが、のけ者にされているように見える。おそらく、いじめだ。私は嫌な気持ちになりつつも、どんな集団にもあることだ、と思いながらこれを受け止めた。仕方のないこととして処理してはいけないが、何をしてあげればいいのか分からない。とりあえず私は、その子をできるだけ喜ばせてあげたいと思い、邪魔する他の子を押しやって、全員平等に写真を撮った。
女子のいじめは、いじめっこといじめられっこがよく入れ替わるものらしい。例えば、いじめ関係にあった者同士がいつの間にか「お友達」になり、かつての他の「お友達」がいじめられっこになるとか、いじめの主犯格がいつの間にかいじめられっこになるとか、様変わりするのだ。おそらくこのいじめも、いつか立場が変わってくるのだろう。しかし、いじめがなくなることはないと言うから、また悲しいことだ。
その夜は、パーティが開かれた。お酒を飲んだり、高校生が日本のヒップホップダンスを披露したり、酔いに任せて大人たちが「大きな栗の木の下で」を踊ってみたりした。ANITRAでの最後の夜は、そうやって締めくくられた。
■8日目/一転、都市へ、そして帰路へ
朝、ANITRAを出発し、ディーゼルのガソリンをバスに入れて、都市へと出発した。都市のホテルのレストランで、食事をとった。美味しいには美味しかったが、私としてはANITRAやホームステイ先での料理の方が口にあった。慣れてしまったのではなく、本当に、田舎の手作り料理の方が美味しいと思う。
食事の最後に、ハーブが出された。3種類あったが、「におい消しだ」といってそれをほおばる姿を真似て、ひとつまみ、ぽいっと食べてみた。臭い、まずい。いや本当に、我慢できない匂いだった。とてもじゃないが食べられない。一種類だけ食べて、なんとか飲み込み、後は試すことができず諦めた。このハーブ、日本のインド料理店なんかにもあるらしい。もう一度、チャレンジしてみなければ。
その後、寺院をいくつか回った。寺院というより観光地で、おかしな物乞いがたくさんいた。ヒンドゥー教の文化には詳しくはないが、神様の名前は本やテレビゲーム、漫画などによく登場するので聞いたことがある。シヴァ、ヴィシュヌ、ナーガなどだ。解説の端々にその単語が聞き取れた。今までファンタジーの世界の言葉のように感じていたこれらの名前も、このように宗教に関連付けられると、すごく身近で現実的なものに感じられた。不可思議なものに自分だけが近づけたような、自慢したくなる気分になった。
昼食を終え、都市へやってきた。もうここは、インドとは思えない。日本とほとんど変わらない。唯一違うのは、雰囲気だ。その後、都市部にあるANITRAのチェンナイ事務所にも寄り、そこでお礼のパーティをして、チェンナイ空港から旅立ち、日本への帰路についた。 |