■2日目/インドでのはじめの一日、ASPにて
日本人を歓迎する踊り
朝食の後は、歓迎会と勉強の時間だった。歓迎会では、少女たちが踊りを見せてくれた。先生(女性)と一緒に、円になって回りながら手を叩く。今日のために一生懸命に練習してくれたのだろう。彼女らの歓迎の気持ちが伝わってきてとても有り難い気持ちになり、しかし一方で「自分なんかに恩返しができるだろうか、せっかく歓迎の気持ちを貰っても何もできないかもしれない」と申し訳ない気持ちにもなった。
ただ、いずれにしても、このような交流の場があるだけでも、お互いにプラスになるのだろう。申し訳ない気持ちを払拭しきれないが、とりあえずそれで納得することにした。
勉強会(オリエンテーション)
障害者と、ジェンダーについての勉強会を行い、実際に問題を抱える女性を招いて話を聞く。しかし、私たちには彼女らの話す「タミル語」は読むことも聞くこともできないため、タミル語 → 英語 → 日本語、と通訳して話をした。
女性が何を語っているかは分からないが、彼女の真剣さ、熱心さが伝わってきた。日本人を前に臆しているわけでもなく、気取っているわけでもない。とにかく、訴えたいのだ。自分のおかれている現状をどうにかしたい、してほしい、と訴えているのだ。
ヒンドゥー教における「身体障害」とは、前世で罪を犯した罰だという。そのため、身体障害に対しては悪いイメージしかない。しかし、カーストという身分制度の中で「同じカーストとしか結婚できない。また、父母の言葉を理解できる人(方言も含め)でなければならない」という制約があるため、近親結婚が多くなり、障害児も決して少なくない。
政府や知識人は「近親結婚を避けよう」と呼びかけているが、数千年続いてきた教えがそれを簡単には許さない。いったい、どうすればよいのだろう。
ジェンダーの問題も深刻だ。インドには「ダウリー(結婚持参金)」という風習がある。これは「女性が嫁ぐとき、男性の家に多額のお金(もしくは財産)を渡さなければならない」というルールだ。この費用は非常に高く、家をつぶしかねない。逆に男性側から見れば、多額のお金がもらえるので非常に助かる。
そのために親は「女児が生まれると毒を盛って殺す」という話があるほど。それだけこの結婚持参金が負担なのだ。そのダウリーも今では法律で禁じられている。しかし、この風習も簡単にはなくなってくれない。
ダウリーを払って嫁いでも、「額が少ない」だの、「家を建て替えるからもっと寄越せ」だの、嫁いびりが絶えないという。そうこうしてこじれている間に、嫁の自殺や、嫁殺しが起こることも少なくないらしい。
時代の流れで少しずつなくなっていくのだろうが、問題は現実に「今」起こっている。今の時代に幸福になりたい彼女らは、訴えるしかないのだ。
古い考えの日本人ならば、諦めて運命に従う人が大半だろう。だが、彼ら彼女らは違う。不条理な社会と向き合い、結果が出る保障もないのに、分かってもらえるまで訴え続けようとしているのだ。とにかく今できることを最大限にやろうと、頑張っているのだ。
オリエンテーションの後は、明日から訪れるホームステイ先の人々との交流会があった。私のホームステイ先は、牧師のMr. デバネーサン(Devanesan)の家。私も彼も英語が得意ではなく少し不安になったが、彼は「No problem. No problem.」と穏やかに何度も言ってくれた。牧師だからか、とても優しい人だと感じた。彼は33歳だった。
彼らが編み出した啓蒙活動「民衆劇」
風習は根付き、「常識」となっている。そのため、その風習に問題があることに気づかない人も多い。彼らは、風習に問題が潜んでいることを必死に伝えようとしてきた。
その方法が「民衆劇」というものだ。民衆劇とは、簡単に言えば風刺だ。たとえば、仕事場で上司に叱られる男を演じる。その男が家に帰り、イライラして妻を殴打する姿を演じる。そうして問題提起をし、劇を見た村人たちに訴えかけるのだ。
民衆劇には、確立されたいくつもの工夫がある。
この民衆劇によって人々は徐々に問題を認知し、社会をよりよく変えてきている。
私たちも、現地の人々と一緒に民衆劇を作った。2グループに分かれ、私の班は「子供に暴力を振るってはいけない。子供の人権を守ろう」という趣旨の劇を考えた。
<ストーリー>
仕事で上司に叱責を受けた父が、家に帰り子供に暴力を振るう。しかし、妻が止めに入り、良心を取り戻す。時は流れ、暴力を受けた子供が父親になり、同じように子供に暴力を振るいそうになった。でも、彼は昔を思い出し、そんなことをしてはいけないと気づく。父のそんな気づき一つで、家族は平和になった。
2時間ほど練習をし、英語と日本語を混ぜて劇をやった。非常に楽しかった。
この日の夜は、民衆劇のほかに子供たちの踊り、日本人チームによる「ふるさと」の合唱、空手の披露などを行って交流をした。
■3日目/ホームステイ先の牧師 Mr.Devanesanとともに
ホームステイ先までの道のり
朝食を済ませ、荷物を準備して、私たちはホームステイ先へ向かった。みんなでジープに乗り込み、長い時間揺られていく。
まず途中で、ガソリンを入れた。ディーゼルだった。おそらく、安いからだろう。排気ガスがやけに臭うのはこのせいだろうか。ディーゼルは環境にも良くないということを、彼らも気づいていたのだろうか。気づいていてもいなくても、まだ車の少ないこの地ではディーゼルが選ばれるだろうが。
途中、いろんなものを見た。初日は夜だったために見られなかったが、明るいところで見ると本当にインドに来たんだと感じる。町は砂ぼこりや汚れがすごい。だが、慣れてきたのか私は不衛生だと感じなくなっていた。ヤギやウシ、イヌの3種は田舎ならどこにでもおり、非常によく見かけた。また、外資だろうか、野原の真ん中に、立派な工場がぽつんぽつんといくつかあった。
Mr. Devanesan(デバネーサン)と子供たち
ジープに揺られて1時間半。私はジープを降ろされた。そこには、昨日会ったMr. Devanesanがいた。牧師でもある彼の家が私のホームステイ先だ。
彼は、4人の子供たちと一緒に来ていた。特に覚えているのは、ポールとデイビッドだ。おそらく、本名ではなくクリスチャンネームだろう。ポールは彼らのリーダーで、とても賢い雰囲気を持った子だった。一方デイビッドはやんちゃでいたずらが好きそうな、好奇心旺盛な子だった。
Ramachandrapuram(ラマチャンドラプラム)という村に到着
ラマチャンドラプラムに着いた。村に着くとすぐ、「教会」と言われるところへ案内された。おそらくあまりお金がないのだろう。日本で言う「教会」とは異なり、蔵のような、小屋のような、そんな感じだった。
「日中は暑いから、涼しくなるまでここで休もう」と言い、私はイスに座るよう促され、water melonを次から次へと出された。
No, thank you. I’m full.を繰り返し、何とかスイカ攻めから逃れた私に待っていたのは、布団だった。教会の床に布団が敷かれ、ごろんとみんなで横になる。涼しくなるまでこのままなのだろうか、と一瞬不安になったが、本当に寝入ってしまったデバネーサンを放っておいて、ポールやデイビッドたちとお喋りを楽しんだ。
この教会は、韓国のキリスト教協会が建ててくれたものらしい。おそらく彼らは、そうして海外からの助けを得て、暮らしを良くしていこうとしているのだろう。キリスト教自体、海外から来たものだ。インドの場合はおそらくイギリス軍が広めたのだろう。そうした歴史を知ってか知らずか、とにかく彼らは今、外部から支援を受けて生活している。韓国キリスト教協会と、彼らの利害が一致しているのだ。「教会」の中にあった看板(?)に書かれた、村名以上にでかでかと書かれた「KOREAN」の文字に、私は少し複雑な気持ちになった。 |