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CSR(社会的責任)

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【人吉営業所】 宮崎貴大
ホーチミンで出会ったストリートチルドレンの子供たち
物乞いをするストリートチルドレンたち、その素顔は無邪気な子ども。
目にしたのは、子供たちの未来をおびやかす、“貧困”という苛酷な現実。

〈1日目〉
セントレア空港を出発し、タイペイ経由でホーチミン入りしました。空港からホテルに向かう車内で初めに感じたのは交通量の多さで、バイクや車がものすごくたくさん走っており、信号がほとんど見当たらない。通訳の方に尋ねると「交通事故は日常茶飯事ですよ」と言われました。
実際、ホテルに到着して市場や街を散策する際、道路を横断しようにも、信号などもほとんど無くて困りました。片側何車線かもわからないぐらい横切る車やバイクの中をぶつかりそうになりながら、少しずつ歩いては止まり、歩いては止まり、を繰り返し渡っていく感じで、いつ車やバイクに撥ねられてもおかしくない状況でした。

街並みだけを見れば、立派な建物や歴史的建造物、日本の企業のビル等が建ち並び、以前訪れたことのあるタイにも似た感じで、私の持つ途上国のイメージとはかけ離れたものにも思えます。しかし、実際に地に足をつけてみるとそこはやはり、都会の中心地にも関わらず、交通整理にすら十分にお金をかけることができずにいるといった現実が垣間見えました。

また、夕食を食べた帰り、ホテルの入り口で、見たところまだ6才にも満たない子どもが2〜3人物乞いで寄って来たことにショックを受けました。同行したある学生がお金を差し出そうとしたところ、ガイドの方が「絶対お金を渡してはいけない」と止めに入りました。

「この子たちにお金を渡してしまったら、明日はよりたくさんの物乞いが、あなたたちの元へやって来ます。その人たちにもお金を渡しますか?ここは日本ではない、ベトナムなのです、当たり前の光景だ」と言われました。

冷たい言い方にも聞こえましたが、ガイドの方の日本人に対する心遣いだったのだと思います。しかし、私はどうしてもその子供たちが気になり、社内同行者の太田とともに、小学校訪問の際に使用する予定で持ってきたバドミントンのラケットを持って子供たちのところへ行き、「バドミントンをしよう」と誘ってみました。

すると、初めは少し警戒していた表情でしたが、時間が経つにつれ心を開いてくれた様子で、先ほどホテルで見た表情からは想像もできないくらい、無邪気な笑顔を見せてくれました。お互い言葉が通じないないので、絵や動作だけで会話をしていくなかで、その子供たちは帰る家も施設も家族さえもない、俗にいう“ストリートチルドレン”でした。

日々の生計は宝くじの券を売り歩いたり、物乞いをすることで立てているということでした。自分の幼少の頃をどれだけ思い起こしてもそういう日常は想像できません。子どもは遊びが仕事であり、必ず誰かに守られなければ生きていけない、というのが私の常識ですが、ここでは街を歩けばこうした子供たちが未だ目に付きます。

先進国と発展途上国の差は、同じみなしごでも環境が全く違うのです。その子供たちは、私と太田に対して物を乞うといった様子を一切見せませんでした。逆に、女の子は道に生えていた花を私にくれ、男の子はバドミントンの最中に壊れてしまった私のサンダルを必死に直してくれました。別れ際にバドミントンのラケットとシャトルを子供たちにあげようとすると、申し訳ないといった様子で遠慮してきました。気にしないでいいと渡すと、男の子がなんと土下座をしてきました。本当にとてつもなく胸が痛くなりました。

この子たちのような子供たちがベトナムでは未だ多く存在しているという現実を肌で感じると共に、子供たちに何もしてあげれない悔しさ、また、こういう子供たちが数多く存在しているという環境で今、私たちができることは何があるのか、深く考えさせられる1日でした。

〈2日目〉
2日目はクチトンネルの見学でした。クチトンネルとは、ホーチミン市から40km北西のクチにある、全長200kmの地下トンネルネットワークのことで、ベトナム戦争中に南ベトナム解放民族戦線によって森の中に作られた、いわば戦闘用のトンネルです。

トンネルは一本だけではなく、何層にもわたって掘られていて、一番上の層のトンネルは地上から2〜4m下にあり、100kg爆弾にも耐えられるように設計されていました。その中に、炊事場、病院、作戦会議室、寝室などの施設もつくられています。現在は観光客用として、入り口をつくり整備されていますが、その当時、実際の入り口は、ベトナム人と比較しても体格のよいアメリカ軍の兵士では通れなかっと思われるぐらい狭く、入り口も普段はフタで閉じているらしく、見つけることも非常に困難だったそうです。万が一、侵入されても、トンネル内は中腰にならないと通れないほど狭く、また近くの川やホーチミン市内にまで続くトンネルですので、捕らえられることもない、といったベトナム人の知恵と工夫が見える施設でした。実際当時、アメリカ軍はベトナム人に苦戦し、枯葉剤を使用するにまで至ったとのことです。

ホーチミン市街は車やバイクが街中を縦横無尽に走り、道路を渡るのもひと苦労。


ホーチミンで出会ったストリートチルドレン。裸足であることは珍しく ないこと。


トンネルの出入り口は、フタが閉じているとほとんどそれとわからない。


クチトンネルの中は中腰にならないと通れないくらい狭い。


   
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